僕もあります。先日は腕時計を買いました。ちょっと前まで万年筆を買っていました。
趣向品に関しては思うところが有ります。
「煩悩と無心の境界線」
お金・集める数(集めた数)・飾り場所(飾り方)・使用頻度(使用時間)
そのバランスの取り方をあれこれ思っていることをちょっと自分に言い聞かせるべく、メモします。
お金と品質と満足度
例えば腕時計。
腕時計に関しては、販売価格に上限が無いと言っても過言ではありません。
そして、有名な超一流メーカーの商品ならば、販売価格に見合った品質が間違い無く有り、それ故に満足度も比例して高い水準となります。
僕は先日、SEIKOの機械式アナログ腕時計を購入しました。SEIKO SARY0057 約30,000円。
そして、SEIKOの商品ラインナップで最高級グレードブランドは「グランドセイコー(以下GS)」です。25万円~100万円越えまでラインナップがあります。
約10倍以上販売価格の差があります。それは間違い無く価格に見合った品質の違いがあります。基本的に、GSを欲しいと思っている人、買っている人は「その違いをしっかり理解」をしたうえで、GSの魅力に憧れたり、喜んだりしています。
それを踏まえたうえで・・・・・・
僕自身は「初めて買ったSARY057の機械式腕時計」でとても感動して、満足をしている為、現時点では「GS」に対しての興味がありません。
その理由の一つが、
今現在総合的にGSを買える金銭的な余裕が無い。これは間違い無い理由。
でも、少し想像をしてみたのです。
仮に宝くじで1億や1千万円が当選したとしたら・・・・・・・
多分ですが、GSや他社の高級腕時計は買わないと思います。
高級腕時計に興味の沸かない次の理由が、
「今腕にはめているSARY057を大切に使いたい」意識が強いから。初めての機械式腕時計の感動を与えてくれた、この腕時計に愛着があるのです。
いつかはその愛着も薄れてくるのかもしれません。だからこそ、愛着がはっきりと感じられる間は、しっかりと大切に付き合っていきたいのです。
そしてもう一つ高級腕時計に興味の沸かない理由。
上手に表現ができないのですが、「2000円のチプカシ腕時計にも感動をしている」ということ。
2000円の腕時計です。 SARY057と比べて、見た目も品質も全く違うのも充分に理解をしているんです。でも、それでも2000円のチプカシに感動をし、大変気に入っています。SARY057とは全く別の魅力を感じているので、この腕時計も大切に使いたいと思うのです。
よくよく考えて見ると、今現在の自分は「所有欲が満たされて、お腹いっぱい」な状態なのだと思います。
お腹いっぱいならば、どんなに高級なお寿司やステーキなど食べたいと思わない、そんな状態なのだと思います。
人それぞれ「これが気に入った」と気持ちが動かされた物を手に入れることは、嬉しい気持ちになるのだとは思います。
集めた数と使用頻度の相関関係
僕個人として「買って、手にしたからには大切に使いたい」という思いがあります。
自分の体は一つ、一日は24時間で時計をする時間は大体12時間前後。腕時計に関して言えば、買ったからには腕にはめて楽しみたいんですよね。
機械や道具はずっと使用しないままだと、傷みや不具合が出てきます。
だからこそ、できる限りコレクションを大切に使いたいと思うと、数は増やせないという矛盾というかジレンマというか・・・・・
なので「数を集めること」に対しての欲求が今の僕にはありません。
ただ「集めることを目的」にされている方を否定はしません。買って一度も出番の無いコレクション品はちょっと可哀想な気持ちはしますが。。。
人の目を気にせずに出来るのなら、それが良いと思う
趣向品と言っても、安物~超高級品まで、世の中に売られている物は、何でもグレードの違いが存在します。
そして、どんな物でも「好き/嫌い」で必ず判断されます。
僕自身、SARY057を自慢をしたくて買ったつもりはありません。
自分自身が嬉しかったり、良い気分になるので使用しています。
なので他人から「GSに比べたら安物だ」と言われるところを想像しても、ちょっと嫌な気分にはなりますが、だからと言ってこの腕時計が急に色褪せて「格好悪い・・・・恥ずかしい」とは絶対に感じないと思います。断言出来ます。
人それぞれの価値観だと思うのです。そこに上も下も無いと思います。
なので「人に自慢をしたいから」高級な趣向品をコレクションするのも良いと思います。そういう方が確実に経済を回してくれています。
ただ、「興味のない人に対して、聞きたくも無い自慢話や蘊蓄を延々と語るような迷惑をかける」そして、「他人と比べて、グレードの下の物を持っているからと値踏みしたり、見下したり」することは、人としてどうかとは思います。
悲しいのは、自分の考えや気持ち以上に「周りからどう思われるだろう」を判断基準にしてしまうことなのではないかと思うのです。
「皆が良いから」ということを基準にしてしまうと、個性が無いと等しいのではないでしょうか。
高級品の凄いところ
30000円の時計と30万円や300万円の腕時計は確かに「違い」があります。
SARY057とGSは確かに違う。
でも、その違いというのは、見た目で言えばそれ程大きな差は無いと言えば無いとも言えます。
でも、その「わずかな差」を出すということは、途方も無い時間(歴史)と試行錯誤の経験努力と、手間暇を積み重ねてきたことで、ようやく自然と表現される「わずかな差」でもあるのです。
ひとつ具体例を挙げれば、GSの針。(短針長針とも)
時間帯や室内の照明の違いでも、視認しやすくするという観点から針の外周部分に細いエッジをつけて、見やすくしています。
ぱっと見、それは確かに「わずかな差」なのですが、そういうこだわりの理由が存在し、尚且つそこまで施行する手間暇があるからこそ、間違いの無い高級品なのです。
だからこそ、その「わずかな見た目の差」に対して「それだけの適正な価値がある」ということで、高級品は製造販売されて、それを買う方もいるのです。
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煩悩と無心
今は、時計はSARY057と、チプカシの2本で充分幸せです。満たされています。
SARY057はずっと大切に使い続けていこうと思っているのですが、チプカシはその特徴から2~5年もつかどうかです。 将来チプカシが壊れて、そして金銭的に余裕があった時に、SARY057よりステップアップした時計に魅力を感じるかもしれません。
因みに、僕は万年筆も何本か持っています。それも同じような考えと状況です。今一番のお気に入りは7000円のセーラー万年筆。今はこれで充分幸せだし、長く使い続けたいのです。








