2016年9月9日金曜日

24時間テレビと感動ポルノを考えてみた

日本テレビで毎年放送されている24時間テレビ「愛は地球を救う」が毎年賛否両論です。

特に今年は裏番組でNHK「バリバラ」が「身障者の感動的な番組に関してどう思う」という、かなり切り込んだ内容の放送をしていました。

少し前に、TEDというアメリカのカンファレンス番組でステラ・ヤング女子が「身体障害者は、健常者を感動させる為に存在するのではない」と講演し、その事象を「感動ポルノ」と名付けた。

そして、前後してしまうが相模原の障害者施設での連続殺人事件。。。。。

またまた前後してしまって恐縮ですが、乙武氏の不倫報道からの彼の家族への思いや対応など。。。

自分の中で「障害者」という方々への、感じ方というか、イメージというか、考えが定まらず、モヤモヤしているなぁ~と思うので、ちょっとまとめてみようと思います。


はじめのきっかけは「他と比較する」ということなのかと思う。

一般的な典型例として「健常者が障害者を見て、『健康で良かった。私は幸せだ。体が不自由で可哀想』」と感じることだろう。

「他と比較をする」というのは、多少でも知能のある動物ならば持ち合わせている本能だ。
動物・昆虫・魚など、縄張り争いや、異性のパートナーに選んでもらう為の求愛行動などで、他と比較したり、競い合ったりする。


問題の本質は「比較をしたうえで、どう感じるか」なのかなと思う。

さきの例『健康で良かった。私は幸せだ。体が不自由で可哀想。』~の『良かった。幸せだ。可哀想』と感じた点だ。

何故良かったのか?何故幸せなのか?何故可哀想なのか?。。。。。。。。
幸せの定義は相対的なものなので、絶対ではない。

「お金がある」「容姿が良い」「友人が多い」「仕事が出来る」「家族がいる」・・・・・・これらのワードだけでも幸せか否かは、人それぞれの感じ方であり、相対的なのだ。

障害者でも「幸せだ」と感じて日々過ごしている人もいれば、健常者でも「不幸だ」と感じている人もいる。 
テレビを見ただけで、「健康で良かった」と感じるのは自由ではあると同時に、そういう発想してしまう時点で、誰で有ろうと傲慢で非礼な要素を含んでいるし、「可哀想」と思うことは、優越感からわき出てくる自分の価値観の一方的な押しつけなのではないだろうか?


身障者を見て、比較をしても良い。本能として比較してしまうことを否定してはいけない。
違うものは違うのだ。健常者同士を比較しても同様に、違うものは違うのだ。

比較をしたうえで「そりゃあ~地球ではそういう人もいるよ。人それぞれの人生を生きている。」とだけ感じられるようになれたら、もやもやした変な雰囲気は無くなり、健全な空気が広がるのだと思う。

もちろん、身障者は内容度合いによって、サポートが必要なケースもある。そんなときは、サポートを遠慮なく求め、そしてサポートしたいと思う人は必ずいるので、そういう人がサポート出来れば良いのではないだろうか?


突き詰めてまとめてしまうと「皆、地球で生きている生物」と考えるのが、シンプルな答えなんだろう。

人間の他に、動物・魚・昆虫・植物・微生物も含めてしまう。
ただ、この世に生を受けたので、死ぬまで生きている。 それだけなのだ。
「昆虫は可哀想(昆虫でなくてよかった)」なんて思っても、果たしてそうだろうか?
昆虫からすれば「人間は迷ったり、悩んだり、お金に振り回されたり、可哀想」なんて目線で我々人間を見ているかもしれない

障害者の方も、障害によって制限されてしまう環境の中で生きて、本人なりに喜怒哀楽の感情と共に考えて生きているだけ。

仮に自分が何らかの障害を負ってしまったと想像すると。。。。。しばらくは苦悩すれども、それを受け入れて、その障害の中で出来る限り自立した生き方を選ぶのだと思う。周りから可哀想とは・・・・・思われたくないな。うん。

そう考えれば、そこに差別は生まれてこないのではないだろうか。

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煩悩と無心

私個人は24時間テレビに対して昔から「う~ん・・・・・・・」と否定的な感覚です。
今こうして考えをまとめて気がついたことは「健康であることの優越感を、助長するような番組コンセプト」を感じてしまうからなのかと、なんとなく思う。
「感動に仕上げようとする」演出意図も感じ取ってしまう。

健常者だって、意識や意欲の違いで、長時間の遠泳チャレンジや富士山に登れない人(やりたくないと考える人)だっているわけだし、自分自身がそれらをチャレンジして成し遂げたら、自分に対して感動すると思う。

2016年7月6日水曜日

趣向品の煩悩と無心

男女共に趣向品や贅沢品を買う事があると思います。
僕もあります。先日は腕時計を買いました。ちょっと前まで万年筆を買っていました。
趣向品に関しては思うところが有ります。

「煩悩と無心の境界線」

お金・集める数(集めた数)・飾り場所(飾り方)・使用頻度(使用時間)

そのバランスの取り方をあれこれ思っていることをちょっと自分に言い聞かせるべく、メモします。

お金と品質と満足度


例えば腕時計。
腕時計に関しては、販売価格に上限が無いと言っても過言ではありません。

そして、有名な超一流メーカーの商品ならば、販売価格に見合った品質が間違い無く有り、それ故に満足度も比例して高い水準となります。

僕は先日、SEIKOの機械式アナログ腕時計を購入しました。SEIKO SARY0057 約30,000円。
そして、SEIKOの商品ラインナップで最高級グレードブランドは「グランドセイコー(以下GS)」です。25万円~100万円越えまでラインナップがあります。

約10倍以上販売価格の差があります。それは間違い無く価格に見合った品質の違いがあります。基本的に、GSを欲しいと思っている人、買っている人は「その違いをしっかり理解」をしたうえで、GSの魅力に憧れたり、喜んだりしています。

それを踏まえたうえで・・・・・・
僕自身は「初めて買ったSARY057の機械式腕時計」でとても感動して、満足をしている為、現時点では「GS」に対しての興味がありません。
その理由の一つが、
今現在総合的にGSを買える金銭的な余裕が無い。これは間違い無い理由。
でも、少し想像をしてみたのです。
仮に宝くじで1億や1千万円が当選したとしたら・・・・・・・

多分ですが、GSや他社の高級腕時計は買わないと思います。

高級腕時計に興味の沸かない次の理由が、
「今腕にはめているSARY057を大切に使いたい」意識が強いから。初めての機械式腕時計の感動を与えてくれた、この腕時計に愛着があるのです。
いつかはその愛着も薄れてくるのかもしれません。だからこそ、愛着がはっきりと感じられる間は、しっかりと大切に付き合っていきたいのです。

そしてもう一つ高級腕時計に興味の沸かない理由。
上手に表現ができないのですが、「2000円のチプカシ腕時計にも感動をしている」ということ。
2000円の腕時計です。 SARY057と比べて、見た目も品質も全く違うのも充分に理解をしているんです。でも、それでも2000円のチプカシに感動をし、大変気に入っています。SARY057とは全く別の魅力を感じているので、この腕時計も大切に使いたいと思うのです。
よくよく考えて見ると、今現在の自分は「所有欲が満たされて、お腹いっぱい」な状態なのだと思います。
お腹いっぱいならば、どんなに高級なお寿司やステーキなど食べたいと思わない、そんな状態なのだと思います。

人それぞれ「これが気に入った」と気持ちが動かされた物を手に入れることは、嬉しい気持ちになるのだとは思います。

集めた数と使用頻度の相関関係


僕個人として「買って、手にしたからには大切に使いたい」という思いがあります。
自分の体は一つ、一日は24時間で時計をする時間は大体12時間前後。腕時計に関して言えば、買ったからには腕にはめて楽しみたいんですよね。
機械や道具はずっと使用しないままだと、傷みや不具合が出てきます。
だからこそ、できる限りコレクションを大切に使いたいと思うと、数は増やせないという矛盾というかジレンマというか・・・・・

なので「数を集めること」に対しての欲求が今の僕にはありません。
ただ「集めることを目的」にされている方を否定はしません。買って一度も出番の無いコレクション品はちょっと可哀想な気持ちはしますが。。。

人の目を気にせずに出来るのなら、それが良いと思う


趣向品と言っても、安物~超高級品まで、世の中に売られている物は、何でもグレードの違いが存在します。
そして、どんな物でも「好き/嫌い」で必ず判断されます。

僕自身、SARY057を自慢をしたくて買ったつもりはありません。
自分自身が嬉しかったり、良い気分になるので使用しています。
なので他人から「GSに比べたら安物だ」と言われるところを想像しても、ちょっと嫌な気分にはなりますが、だからと言ってこの腕時計が急に色褪せて「格好悪い・・・・恥ずかしい」とは絶対に感じないと思います。断言出来ます。

人それぞれの価値観だと思うのです。そこに上も下も無いと思います。

なので「人に自慢をしたいから」高級な趣向品をコレクションするのも良いと思います。そういう方が確実に経済を回してくれています。
ただ、「興味のない人に対して、聞きたくも無い自慢話や蘊蓄を延々と語るような迷惑をかける」そして、「他人と比べて、グレードの下の物を持っているからと値踏みしたり、見下したり」することは、人としてどうかとは思います。

悲しいのは、自分の考えや気持ち以上に「周りからどう思われるだろう」を判断基準にしてしまうことなのではないかと思うのです。
「皆が良いから」ということを基準にしてしまうと、個性が無いと等しいのではないでしょうか。

高級品の凄いところ


30000円の時計と30万円や300万円の腕時計は確かに「違い」があります。

SARY057とGSは確かに違う。
でも、その違いというのは、見た目で言えばそれ程大きな差は無いと言えば無いとも言えます。
でも、その「わずかな差」を出すということは、途方も無い時間(歴史)と試行錯誤の経験努力と、手間暇を積み重ねてきたことで、ようやく自然と表現される「わずかな差」でもあるのです。

ひとつ具体例を挙げれば、GSの針。(短針長針とも)
時間帯や室内の照明の違いでも、視認しやすくするという観点から針の外周部分に細いエッジをつけて、見やすくしています。
ぱっと見、それは確かに「わずかな差」なのですが、そういうこだわりの理由が存在し、尚且つそこまで施行する手間暇があるからこそ、間違いの無い高級品なのです。

だからこそ、その「わずかな見た目の差」に対して「それだけの適正な価値がある」ということで、高級品は製造販売されて、それを買う方もいるのです。

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煩悩と無心

今は、時計はSARY057と、チプカシの2本で充分幸せです。満たされています。
SARY057はずっと大切に使い続けていこうと思っているのですが、チプカシはその特徴から2~5年もつかどうかです。 将来チプカシが壊れて、そして金銭的に余裕があった時に、SARY057よりステップアップした時計に魅力を感じるかもしれません。

因みに、僕は万年筆も何本か持っています。それも同じような考えと状況です。今一番のお気に入りは7000円のセーラー万年筆。今はこれで充分幸せだし、長く使い続けたいのです。

2016年7月2日土曜日

初めての機械式腕時計 SEIKOプレザージュSARY057 今はこれが最高&充分♪

思わず機械式腕時計を購入しました。
『思わず』というのは、スマホの通販サイトで申し込みを行い、注文確定させようか。。。どうしようか。。。。。慌てる必要ないんじゃないか。。。。。と躊躇っていたら、子供がドンとぶつかってきて、その勢いでポチ ^^;

買った時計は「SEIKO プレザージュ SARY057

極めてシンプルな機械式アナログ腕時計。

動機

  1. アラフィフとなり、年齢&仕事で清潔感ある常識的で年齢相応の時計をしたい
  2. 2000円のチプカシを試しに買ってみたら、シンプルな時計を自分の思った以上に良いと感じた。
  3. ローテーションさせたいので、もう一本欲しいな
  4. たまたま、臨時収入があった☆
  5. 腕時計を調べてみたら、機械式の腕時計が気になった。
  6. 予算は30000円
  7. メーカーは国産(内需拡大。日本人として日本企業を応援したい)
  8. デザイン・予算・機能から、上記腕時計がピタリとハマった。
SEIKOだと、最高級グレードブランド「グランドセイコー(通称GS)」があります。最高級だけあって、お値段も20万円以上~ 手が全く出せません^^; それと現段階では欲求が沸かないんですよね。

逆に、10000円前後の「セイコー5 逆輸入版」があるのですが、デザインがゴテゴテっとしていてトキメかなかったのです。

開封の儀






違う。。。。。。明らかにチプカシとは醸し出される雰囲気が違う。
見た目の素材感が違う。 そして、一番目立つのは秒針。小刻みに、滑らかに、そして正確に秒を刻んでいるその様子が綺麗だなぁ~と思いました。
約30000円の時計。
それが「高価」か「安物」かは人それぞれの価値観。
僕自身はちょっと感動しました。

唯一気になったのは大きさ。
下に↓腕にはめた写真が有るのですが、僕は腕が細めなので「よりデカく見える」のです。
このモデル、ちょっとしたG-SHOCKくらいのボリュームがあります。
実店舗で実物をみたうえで、それでも「価格とデザインのバランス」がドンピシャだったので、納得したうえで購入し、気に入っています。

バンド調整


バンドは自分で調整をしてしまいました。専門工具は有りません。精密ドライバーセットの一番細いマイナスドライバーと、ミニペンチと金槌です。

ここのサイトページの下半分『アジャストタイプ②ピン式(Cリング式)』
が、画像&動画で詳しく判りやすく説明してくれています。





時計の知識も無いのに、いきなり素人が自力で交換をしてしまったのですが、振り返ればかなりのリスクがあります。 画像下2枚に写っている小さな部品Cリングを絶対に紛失しては駄目です。僕はちょっと紛失しかけました。それと、僕は微妙にピンを曲げてしまいました。。。。。
知識と経験を持っていない方は、プロの時計店に任せる方が絶対に良いと思います。

機械式の良さ=アナログの普遍性



機械式腕時計は正確ではありません。一日±30秒秒針がズレます。
こまめにゼンマイを巻かなくては駄目。 機械式はゼンマイが動力です。電池を使用しません。『自動巻き』と言って腕にはめて歩いているだけで自動的にゼンマイを巻く機能もあるのですが、基本中の基本は竜頭を巻く作業が必要です。

今は「太陽電池&電波受信」の腕時計もあります。電池いらずで時間の狂い無し。最強です。

技術が発達しても、アナログ機械式腕時計が発売され続け、愛好家がいる・・・・・それはアナログの持つ普遍的な機微の良さなのだと思います。

歳なのか、性格なのか判らないのですが「万年筆、手書き手帳」が僕は好きです。
コーヒーはフィルターで淹れます。 更に時間的余裕があれば、手動式ミルで挽きます。

手間暇をかけた分だけ、違いは出るのです。その違いは「個性」を表現してくれるのだと思います。
時間の余裕を作ったり、感じたりしながら、『効率』を少し忘れて、自分を表現する時間を楽しめたらと思います。 ゼンマイを巻いたり、時刻を合わせるのは5分もあれば充分出来るのだから。
その「5分」を僕は「面倒な時間」ではなく「楽しい時間♪」と感じるのです。

日本企業は凄い。日本人だから応援したい。


ちょっと前に購入したチプカシのCASIO。そしてSEIKO。
あらためて、日本企業の仕事っぷりは凄いと思いました。
もちろん、突き詰めてしまえば「どの国だって、誠実でちゃんとした仕事をする企業、インチキな企業」あります。両社は「誠実でちゃんとした企業」ですね。

何だか不思議と日本って「海外で高評価なのに、国内では海外ブランドが評価が高い」ような印象があります。(あくまで個人的見解だし、おおまかな視点で感じることです)

SEIKO腕時計最高峰は「グランドセイコー」なのですが、僕個人この「プレザージュ SARY057」でも充分過ぎる程凄くて格好良い機械式腕時計だと感動しています。

日本企業、頑張れ!SEIKOもCASIOも凄いぞ!!


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煩悩と無心

『腕時計ひとつで「その人のキャラクターや思考」が判るのだと思う。』

前回のチプカシ紹介ブログで書いたことです。

2000円のチプカシに感動して、間を置かずに約30000円のSEIKO機械式を購入。
正直「他人の目」への意識が高くなり、煩悩が膨らんだという要素が一部あります。

それを認識しつつ、決して「他人から『良い時計してるね』と思われたい」ではありません。
褒められたら素直に嬉しいです。馬鹿にされたら嫌な気分になるとは思いますが「人それぞれの価値観」なので、すぐに流せます。
ゆっくり考えて思ったのが「この時計を買ったことで、自己表現の幅を広げられた」ですね。

今回の時計を買ったからと言って、チプカシはチプカシで大変気に入ったままで、感情的に全く色褪せたりはしていないのです。これからはローテーションで嬉々として両方の腕時計を楽しみます。

他人の評価を気になっている部分を持ちつつ、基本は「自分が気に入った」から購入をしたので、両方の時計が大好きで、大切に楽しんで使いたいのです。

なので、
高級腕時計をしている方に対して「やっかみ・羨み・卑屈」の気持ちは有りません
安い腕時計をしている方に対して「小馬鹿・値踏み・見下」の気持ちは有りません。
人それぞれの価値観だし、表現だと僕は考えます。

おごり高ぶらず、自慢せず。ささやかな日常に思いを馳せ、そのことに喜びを見つけて感謝をしていきたい。併せて誠実さと清潔さも意識しつづける。 そういうキャラクターを目指している自分にピッタリな時計(2本)と巡り会えました。